協会ブログ

2026.08.12

加工食品にたよる罪悪感|頭の中の採点表をそっと閉じる

働きながら毎日ごはんを作っていると、加工食品を使った日に「これでよかったのかな」と思うことがあります。

その気持ちがどこから来ているのか、一緒に見つめてみませんか。

重いのは、加工食品そのものではありません

お迎えを済ませて、荷物と子どもを抱えて家に帰る。

手を洗う間もなく、おなかすいた、の声が聞こえる。

そんな日に、温めるだけのものに助けてもらうことがありますよね。

袋を開けるだけのもの。

鍋で温めるだけのもの。

それで家族がおなかいっぱいになったなら、その日はそれで十分だったはずです。

でも、片づけが終わったあとに、心に残るものがあります。

これでよかったのかな、という気持ち。

台所を重くしているのは、加工食品そのものではなく、そのあとに残るこの気持ちの方かもしれません。

その気持ちは、頭の中の採点表から来ています

どうして、こんな気持ちになるのでしょう。

たぶん、頭の中に採点表があるからです。

手作りなら合格。

買ってきたものなら減点。

野菜が入っていれば加点。

誰かに渡されたわけでもないのに、いつのまにか持っています。

そしてこの採点表は、疲れている日ほど厳しくなります。

一番がんばった日に限って、今日は何もしてあげられなかった、と自分に点をつけてしまう。

自分を責めても、明日のごはんは楽になりません

責める気持ちには、料理を良くする力がありません。

それどころか、反対に働くことがあります。

責めた分だけ、次の日に台所へ向かう足が重くなる。

重いから、また手早いものに頼る。

そしてまた、これでよかったのかなと思う。

この繰り返しの中にいると、ごはん作りがだんだん「やらなきゃいけないこと」になっていきます。

減らしたいのは加工食品の回数ではなく、この繰り返しの方です。

「頼っちゃった」を「選んだ」に言いかえる

やってみてほしいのは、自分にかける言葉を変えることだけです。

今日は疲れていたから、これを選んだ。

明日の朝が早いから、今日は温めるだけにした。

やっていることは同じでも、自分への言い方が変わると、あとに残るものが変わります。

頼っちゃった、と言えば、できなかった日の記録になります。

選んだ、と言えば、その日の自分がちゃんと考えて決めた記録になります。

仕事があって、お迎えがあって、寝かしつけまで待っている。

その中で家族がごはんを食べられたのなら、もう十分にうまくいった日です。

採点をやめると、おいしさがまた分かるようになります

これは気持ちの持ちようだけの話ではありません。

罪悪感を抱えて食べているとき、私たちは味をあまり見ていません。

早く済ませたい。

なかったことにしたい。

そうして食べたものは、不思議と記憶に残らないんです。

でも、自分で選んだと思って食べると、少し違います。

今日はちょっと味が濃かったな、と気づく。

明日は野菜が食べたいな、と思う。

自分の体が何を欲しがっているか。

その感覚は、採点をやめたところから戻ってきます。

加工食品を減らそうとするより先に、採点表をそっと閉じてみる。

台所が軽くなるのは、たぶんそちらが先です。

そしてもうひとつ。

温めるだけで出せるもの、冷蔵庫から出して並べるだけで一品になるものが自分の手元にあると、疲れた日の選択肢が「買ってきたもの」だけではなくなります。

あなたの頭の中にも、いつのまにか置かれた採点表はありませんか?

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