一般社団法人日本オーガニックレストラン協会 代表理事
フードプロデューサー
南 清貴
東京、大田区生まれ。
高校卒業後、演出家を目指す途上で人の心と体のつながりを学ぶために整体の勉強を始め演出家ではなく、整体指導者となる。
整体の始動を続ける中で「人は、自分が食べたもので、自分を壊す」をいうことに気づく。
その人にとって、正しい食事とは何かということを追求した結果、飲食店を開業することを決意。
8年間の準備期間を経て1995年、東京代々木上原に日本初のオーガニックレストラン「キヨズキッチン」をオープンさせる。
最新の栄養学を料理の中心に据え、自然食やマクロビオティックとは一線を画した創作料理を考案・提供した。
女優、モデル、著名デザイナー、スポーツ選手や、医師、経営者などがプライベートで通う、知る人ぞ知る店となり、業界やマスコミからも注目を浴びる。
2005年にレストランをクローズした今も「伝説のレストラン」と言われる。
2005年より、フードプロデュースの仕事に専念し色と健康に関する講演活動、執筆活動、全国のレストラン・カフェなどの業態開発、企業内社員食堂やクリニック・ホテル・スパなどのフードメニュー開発に力を注ぐ。
2011年の東日本大震災を機に、農に密着した活動を行うため岐阜県に拠点を移す。
一般社団法人日本オーガニックレストラン協会では「オプティマルクッキングアカデミー」を主宰し、健康的でおいしい家庭料理のシステム化の普及に取り組み、受講生は1万人を超える。
「僕ほどに料理に精通した栄養学者はおらず、僕ほどに栄養学に精通した料理人はいない。」が、フードプロディーサーとして自分の表現することば。
著書に「じつは怖い外食」、「じつはもっと怖い外食」(ワニプラス新書)「究極の食」(講談社)、「頭のいい人は亜麻仁油を飲んでいる」(講談社)、「40歳からは食べてはいけない病気になる食べ物」(KADOKAWA)など。
「行ってはいけない外食」(三笠書房知的生き方文庫)は1販売部数10万部を突破。
いずれも1万部以上の販売部数を世の中に送り出している。
メディア出演
【テレビ・ラジオ】
はなまるマーケット、目覚ましテレビ、アドマチック天国、
J-WAVE、東京FM、ニッポン放送TBSラジオFMヨコハマ、岐阜FM Radio80他
【新 聞】
朝日新聞「あのひととこんな話」、日経産業新聞「ヒット案内人」、
日経流通新聞「KIYOの社食メニュー」紹介、日本経済新聞「日本初アンチエイジングレストラン」、西日本新聞「都会と地方をつなぐ食と農のネットワークの取り組み」
【雑 誌】
日経ヘルス連載「からだがよろこぶKIYOさんのごはん」、日経ヘルスforMEN連載「料理を科学する」、環境雑誌オルタナ連載「KIYOの哲学」(レシピ、コラム) 東急コミュニティ暮らしの窓連載「素材を生かしたNaturalcooking」、
他にhanako、dancyu、男子食堂、FRAU、クロワッサン、クロワッサンプレミアム、プレジデントファミリー、ソトコト、日経associeなど、いずれも健康と食に関する掲載、多数
プロデュース
講演&セミナー
幼少期 食の原体験
1952年、東京都で生まれました。 JORAに続く食に関しての原体験は子供の頃にありました。 私が子供の頃は、カロリーがどうの、化学調味料がどうの、野菜不足がどうのといったことを気にしていませんでした。 ご馳走に毎日ありつけるような日々ではありませんでしたが、貧しいながらも栄養は整っていました。 こういった原体験が、オーガニックにこだわる理由になりました。 料理には作った人にしか出せない味があり、当時はそういった楽しみ方もありました。 作る人によって味が違うという楽しみ方もあると考えているので、キヨズキッチンではあえて味の統一はしていません。
19歳 人生の師の一人と出会う。
舞台演出家をめざし、劇団に入り演劇の師である早野さんと出会います。 早野さんが語った「体の動きは心の状態を表す。ブロックがある場合はブロックをはずせば、リアルな演劇になる」という言葉から、「心」と「からだ」の結びつきに興味が湧きました。 その興味から、俳優業のかたわら整体業をスタートさせて「こころ」と「体」についての学びを深めていきました。 18歳の時に患った病気により骨嚢腫という病気がハンデとなって普通の人の3倍以上の時間をかけなければ整体の知識は覚えられませんでしたが、それを何とか乗り越え、整体を教える指導者になるまでに至りました。 整体の仕事をする中で「いくら整体を受けても、食事が悪ければ体はよくならない」 という学びを得たことは後にキヨズキッチンをオープンさせることにつながっていきます。
28〜35歳 複数の人生の転機をむかえる
28歳から35歳の間に転機が何回か訪れます。 28歳の頃、大人では珍しいおたふく風邪にかかったのですが、これがきっかけで「心」と「からだ」の関係、「健康」と「病気」という概念、そして「成長」と「自立」に興味を深めていきます。 そもそも、整体の世界では、風邪を一種の調整機能だと考え悪いものだとは考えません。 悪いものだと片付けていたら、興味を深めようなどと思わなかったでしょう。 28歳から数年後、またもや転機が訪れます。 娘が誕生したこと。 そして、娘の誕生から1年後に『丸元淑生のシステム料理学』という一冊の本と出合ったこと。 娘の成長とともに「食とからだ」のつながりをより考えるようになりました。
43歳 日本初の本格的オーガニックレストランをオープン
子供の頃に体験した食の原体験、演劇と整体から学んだ「心」と「からだ」の関係性、28歳からあった複数の転機、これらが組み合わさりキヨズキッチンをオープンさせるきっかけへとなっていきます。 キヨズキッチンはオーガニックな野菜・穀物・豆類を中心に素材の持ち味を活かした 料理を提供する日本初の本格的オーガニックレストランでした。 飲食経営の経験がゼロですべて自己流だったので、わからないことだらけのスタートでした。 とりわけ難しかったのは調理で、当時は一般的ではなかったオーガニックにこだわったため、作れるのは私だけ。 他の人に調理場を任せられない状況が続いた上、3年間は赤字が続きました。 そんな中で頑張れたのは、使命感があったから。 赤字だとか飲食未経験だとか、そんなことは問題じゃないと感じることができました。
45歳 レストラン経営とプロデュースに専念しはじめる
調理したものを保存して別の新しい料理を作りだすシステムを考案。 キッチンスタッフに調理場の仕事を委ね、店の経営とプロデュースに専念する。
49歳 初めての著書を出版
『シンプルごはんの思想』を出版。
53歳 レシピ集「からだキレイごはん」をつづけて、本レストランを移転
「キヨズキッチン」を代々木上原から麻布十番に移転。日本初のアンチエイジングレストランとしてプロデュース。
56歳 店の経営からは離れ、プロデュースの仕事に専念する
キヨズキッチンの食の理想がつまったデリカテッセン「KIYO’S ZEN」を新宿伊勢丹B1Fにオープン。 自分らしく活き活きと歳を重ねるための“ナチュラルエイジング”というライフスタイルがコンセプト。 代々木公園にアトリエを構え、食のサロンを不定期かいさい。
59歳 苦渋の決断
3月11日、誰もが忘れることができない出来事がおこります。 多くの人の人生に影を落とした東日本大震災は、私の人生にも影を落としました。 北関東から食材を仕入れていましたが、放射能に汚染された食材を使って安全な料理を提供することができないと感じ、仕事を断念せざるをえませんでした。 苦渋の決断の結果、私は家族と共に岐阜県大垣市に拠点を移し「農」に密着した活動に専念するようになっていきます
62歳 JORAを設立
数々の挑戦をしてきた人生でしたが、60を超えても年齢など気にすることなく新たな挑戦をすることを決めました。 その挑戦とは、一般社団法人日本オーガニックレストラン協会(略称JORA)を設立することです。 設立のきっかけは当時、ソフトバンクホークスの監督を務められていた工藤公康さんとのジョイント企画に参加したことでした。 そのイベントにはマッサージの先生やアロマセラピー、鍼灸師、オイルマッサージなどのセラピスト系の方が多くおり、その方々から「施術したお客様から食事のことをよく聞かれるんだけど、どう答えていいのかわからないので、今度セミナーを開いてもらえないか」と頼まれました。 そのセミナーを開くことがJORA設立のきっかけとなったのです。 3年後には体験セミナーに1,000人以上、基礎講座には400人以上が参加するようになりました。 大変ありがたいことです。
64歳 『行ってはいけない外食』を出版
販売部数は15万部を突破。ベストセラーとなります。
69歳 中田敦彦氏のYouTube大学で著書を取り上げられる
著書『40歳からは食べてはいけない病気になる食べもの』が取り上げられて話題となる。
〜現在
JORAにて「オプティマル・クッキングアカデミー」を主宰し、家庭料理のシステム化の普及に取り組んでいます。
一般社団法人日本オーガニックレストラン協会 理事長
佐々木 みどり
大学卒業後、大手メーカーに総合職として入社。
充実した社会生活を送るが、ハードワークで20代半ばに大きく体調を崩し、西洋医学の手術を避ける方法を探している中で、食に出逢う。
からだが一気に健康を取り戻すと同時に、心も健康になり、人生が激変。
食を通じて幸せに生きる人を増やしたいと思い、1999年、食の道に転身。以来、25年にわたり食(オーガニック)の仕事に携わる。
日本初のオーガニックレストランとデリショップ合計7店舗のマネジメント、企画開発業務、経営部門に7年間携わる。レストランは毎週3本以上の雑誌テレビ等のメディアに取り上げられる大人気店となる。
食に関する20冊以上の書籍出版および企画に携わる。
2014年に一般社団法人日本オーガニックレストラン協会を代表理事KIYO(南清貴)とともに立ち上げ、全国でオーガニック家庭料理の講座を開講、またその講師を育成している。サポートした受講生、講師は800名。
多くの食の講師を育成する中で、教える立場にいても、人生のゴールが明確でない人が多いことを感じ、食べることの大切さとともに、人生を死ぬ時から逆算して考えることの大切さを、伝えている。サクセスナビゲーター。
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